18年ぶりのリーグ優勝、そして38年ぶりの日本一に輝いた阪神タイガース。
老若男女を問わず、その阪神タイガースを愛するすべての人々はもちろん、すべての野球ファンにも読んでほしい一冊である。

この本は、"歴史"ある「阪神タイガース」という存在を、1955年シーズンの岸一郎監督就任・解任という事件を通して、生々しく浮かび上がらせるものだ。

1955年の日本といえば、第二次世界大戦の敗戦から10年目、朝鮮戦争の特需に端を発した「神武景気」が始まり、政治の世界では保守合同、「55年体制」が生まれた年であり、プロ野球選手なら江川卓、掛布雅之、大野豊、達川光男、芸能人であれば郷ひろみ、明石家さんま、竹内まりや、中村勘三郎、実業界ではビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、文化界では鳥山明、野田秀樹など、綺羅星のごとき人材を輩出した年でもある。

「空白の一日」事件でジャイアンツからタイガースへ移籍した投手・小林繁は言った。
「タイガースには”歴史”があるが、”伝統”がない」

”伝統”とは何か。小学館のデジタル大辞泉によれば、
「ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること。」
とある。

そして、"伝統"という言葉を分解してみると、
「角川新字源 改訂新版」によれば、「統」という漢字には、
①すべる。おさめる。一つにまとめる。「統率」「統治」
②すじ。つながり。「系統」「伝統」
という意味がある。

つまり、"伝統"とは「古くから受け継がれたもの」であり、「繋がりを伝える」ことだ。

みんなが大好きなタイガースがどこから来ているのか、どう辿ってきたのか、これは今日に至るまで、一本の「筋」、「線」で繋がっているのである。
言い換えれば、この本のタイトルのごとく「虎の血」で繋がっている。
「歴史」はよいことも悪いことも、意志を持って語り、受け継ぐことで「伝統」になるのである。

タイガースのOBである吉田義男、小山正明、川藤幸三など、そしてライバルチーム、ジャイアンツのOBである広岡達朗、そして岸が生まれ、大半を過ごした敦賀の人々への丹念な取材で得た証言などを基に、タイガース史にも埋もれていた監督・岸一郎の一生と、「業」の深いタイガースという存在を解き明かしていく。

そして、結果として、2022年オフに監督に再び就任した岡田彰布の下で、なぜ、阪神タイガースがリーグ優勝、日本一を成し遂げたのか、という問いに、ひとつの「答え」を導き出してくれる。

プロ野球経験のない人物がプロ野球チームの監督になる。
90年ものの歴史のあるNPBの現在では考えられないことだが、1936年に始まった職業野球の黎明期には珍しくはなかった。
しかし、1955年というのは大阪タイガースが誕生して20年という節目に当たる年ある。

NPBの一軍監督でNPBで選手としてのプレー経験がないのは、1966年に東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の一軍監督を務めた田丸仁(法政二高、法政大学野球部監督を歴任)以来、存在しない。

20年の歴史を持つタイガースという球団がなぜ、急にプロ野球経験のない60歳の人物を監督に据えたのか。
大物選手同士の諍い、球団内の学閥、球団フロントの責任逃れ、岸一郎の持っていた人脈、こうした極めて人間的な、泥臭い経緯の中でエアポケットのように生まれた「珍事」いや「珍人事」である。

そして、この本の中で、岸一郎がタイガース監督でいたのは全319ページのうち、153ページまでである。

その後は岸の解任後の後日談となる「藤村富美男排斥事件」、監督解任後の岸の足取り、監督就任前の岸の半生、投手としての野球人生、そして岸の家族をも追っている。

筆者である村瀬さんは「阪神タイガースはなぜ、優勝できないのか」というテーマを持って、長年、取材してきたという。
だが、裏のテーマは、「阪神タイガースによって人生を狂わされた人々」と読める。

「ミスター・タイガース」と謳われた藤村富美男ですら、阪神タイガースという大きな「渦」に飲み込まれていったのである。

そんな中、「狂気」と「正気」を同時に保つことができた人物だけが、「阪神タイガース優勝監督」という称号を手に入れることができるのではないかとわかってくる。

タイガースの優勝監督は一リーグ時代を通じて、石本秀一、若林忠志、藤本定義、吉田義男、星野仙一、岡田彰布の6人しかいない。
そのうち日本一を成し遂げたのは、吉田義男と岡田彰布のみだ。

岡田彰布という人間は、生まれついてのタイガースという宿命を背負った人である。
タイガース後援会の幹部を父に持ち、タイガースとともに育ち、ドラフトというくじ引きでタイガースに入団し、中心選手としてリーグ優勝・日本一を経験し、自由契約になる。新天地・オリックス入団時には「これからも阪神ファンであり続ける」と涙ながらと語り、その後、タイガース監督としてリーグ優勝も味わったが、不本意な形で監督を辞する。

誰よりもタイガースという深い「業」を背負った人間が、いまは「球団に愛はない」と言い切りながら、64歳で監督に復帰する。
就任当初は時代に逆行しているのはないかという批判もあったが、岡田監督は復帰1年目にしてそうした「雑音」を封じ、タイガースファンに「福音」をもたらしたのである。

もちろん、2023年の優勝は、岡田彰布監督ひとりの力で成し遂げたことではない。
だが、この本を読んだ後、そういう人物こそが「タイガース監督」という重圧に耐え、「タイガース優勝監督」という称号が似合うのではないかとますます思わされるのである。

最後に、この本のタイトルである「虎の血」についてもう一つ、解釈してみたい。

小学館のデジタル大辞泉によれば、「血」には、
1 動物の血管内を流れる体液。血液。血潮 (ちしお) 。
2 血縁。血統。血筋。「—のつながり」「—は争えない」

という意味がある。もちろん、ここでは2の意味だ。

しかし、「血」にはもう一つの意味がある。

3 人のもつ感情や思いやり。「若い—がたぎる」

タイガースに人生を狂わされた人々はたくさんいる。
だが、それ以上に、日々、タイガースから多くの喜びを得ている人たちもたくさんいる。
「タイガースという血」がたぎっていると自認するのは、人としての温かい感情や思いやりを持っていることと誇ってよい。

この本は阪神タイガースに人生を狂わされた人々へ捧げた「レクイエム」であり、「喜びの歌」でもある。
そして、タイガースの"歴史"を"伝統"に変える試みの一つでもある。

P.S.