読み終えたのは雑踏の中。
あと少しで読み終える、そこで職場の最寄り駅だった。
改札を抜けると、待ち合わせの人々がそれぞれスマホ画面を見つめる群に加わる。
気持ちをそのままに読み終えたかった。
残り10ページ、筆者と一緒に胸を熱くする。

岸一郎って人がね。
誰かに話したくなった。




岸一郎。
大阪タイガース(現・阪神)元監督。
プロ野球経験のない素人。
球団オーナーにタイガース再建を投書し、還暦で監督就任。
選手から総スカンを喰らい、2ヶ月で「痔の悪化」を理由に退任。

「何やねん、誰やねん」
誰もが突っ込みたくなる「謎の老人」を調べる為、福井県敦賀市に筆者が訪れた所から本書は始まる。

前半はタイガースと岸一郎の監督就任をベースに当時のプロ野球事実が語られる。
華やかなスター選手の藤村富美男、まだ20歳の投げる精密機械、小山正明。
そして過渡期の大阪タイガース。
岸一郎の周りを巡る事で、彼のぼんやりした存在の外堀を埋めて行く。

後半は岸一郎の半生と、解任後の消息。
ここからは筆者が表に出で、関係者の細い糸をたどり、欠けたパズルを埋めていく。
岸一郎に溺愛されていたはずの娘の豹変、年老いた甥。
亡くなってしまっていた、真相を知る田中のおばちゃん。

そして、本書の生命線、あだ名「べらいち」を知った時、
岸一郎の背中が掴めそうで霞むを繰り返す、筆者の10年の旅も終焉を迎える。

筆者も魅入られた「虎の血」。

気付けば読者も染められている。




読み物としては面白かったが、ノンフィクションとしてはどうか。

そんな意見が大多数で本書は「開高健ノンフィクション賞」を逃した。
筆者の読みやすい文体は、選考委員会に言わせると「こなれた週刊雑誌的文体」がノンフィクションの作法を越えているそうだ。
虚か実か解らない、と。

いち読書好きからすると、とても残念な話しだ。
読み手として本を筆者と一緒に完走する事は、題材である岸一郎への最大の敬意と考えている。
わざわざ難しく、硬く語られると共に歩んで行く事が辛くなる。
その点、本書は手を差し伸べ、待ってくれる時さえある。
沢山の読者を完読させる事は書籍として最も重要で、もっと評価をしてよい。

また、読書家は絶滅危惧種となりつつある。
書籍を受け継いて行く為にも、媚びるではないが、読みやすい事も一案として歩み寄って頂けると、素人の読者としてはありがたい。

次にノンフィクションとは何ぞや。
答えるのは難しい。
他人の手が入った時点で完全なるノンフィクションはない、とすると皆無となる。
では、動画で垂れ流しならいいのか?
たとえ被写体自身がカメラワークを握っていたとしても、無意識に「何か」が働くだろう。
故に、完全なるノンフィクションはないと考えている。

読み手の受け取り方に委ねるのは、駄目なのだろうか。
もちろん、遺族や関係者の方の気持ちがあるのは理解でき、あらぬ誤解や誹謗中傷を生む懸念もある。
それでも、もう少し読者を信用して頂きたい。

硬く書けば事実で、こなれた文体であればフェイクと言う事は全くない。
読者も筆者と一緒に真摯に正面から向き会っている。

感じる、心が動かされるのは表現しかり、全てで自由なはず。

作法なんてナンセンスだ。


*

最後になるが、筆者の村瀬秀信さんは実に旨そうな笑顔でメシを食べる人だ。

そんな男に悪い人はいない。

多分。