やっぱ人は忘れるよ。忘れる。
それはもう、忘れてることに愕然とする。
私には、日本プロ野球史の先生が2人いる。
1人は豊田泰光で、もう1人は近藤唯之である。
岸一郎のことは、近藤唯之の本で知っていた。
だから、「君は近藤唯之を知っているか」と自著の第1章で世に問うた著者が、
岸一郎のことを書くと知ったときは「そりゃそうだ」と思った。
思ったが、すぐ不安に駆られた。
・・・ほんとに近藤唯之だったかなあ。
読んだの、25年くらい前だし。
▲著者なのか筆者なのかはっきりしろ
「あれ、カイザー田中。」
2023年の暮れ、私の顔を見るなり著者は言った。
文春野球学校の忘年会。
分厚い手で分厚いゲラを持っている。
店の照明か、煙草か、虎の血の所為か、紙は黄色く見えた。
やっぱりそうですか。
そうですよねー。
・・・でも。
『虎の血 〜阪神タイガース、謎の老人監督〜』は、
1955年に60歳過ぎのプロ野球未経験者が阪神タイガースの監督に就任し、33試合で休養することになった人物の来し方行く末を追った本である。
前半は、1954年オフに岸一郎が新監督に就任するところから、1955年5月21日に痔瘻の悪化による休養までの約半年間を記録している。
当時の新聞記事を下敷きに、吉田義男や小山正明ら虎老へのインタビューで肉付けし、
ベテラン名物記者からのアドバイスを支えとしながら、著者は怒涛の日々を丹念に淡々と描く。
著者は、とにかく事実に対して謙虚に接し続ける。
ところどころ突っ込みを入れてはいるが、あくまでも淡々としている。
「事実を書くだけで誹謗中傷、事実を書くだけでサイコホラー」でおなじみベイスターズおじさんたる著者の面目躍如といっていい。
「そもそも人がいない大洋ホエールズ」。
事実である。
私見に置き、岸一郎の監督就任からはじまり、序中盤における真の主人公、吉田義男曰く歴史上ただひとりのミスタータイガースの引退試合が行われる第4章までが本書の白眉である。
圧倒的に面白い。
読み進めながら、思う。
そんなことあるんだろうか。
岸一郎のことを、近藤唯之あるいは村瀬秀信以外の人から知るなんてことが。
私は誰から、岸一郎のことを・・・。
本書は第21回開高健ノンフィクション賞の最終候補作となった。受賞はならず、選考委員のコメントをまとめるとこうなる。
「面白い。ただ、ノンフィクションではない」。
かわいそうに。
選考委員でなければ「面白い」だけですんだのに。
著者が近藤唯之のことを書いた「止めたバットでツーベース」の書評で、藤島大がすでに説いている。
ページを閉じて思った。軽妙な文体にだまされてはならない。品があるから俗を書ける。筆致には、この私が珍しい題材に接近できた、というような陶酔はない。実は自分を消そうとしている。では無味乾燥か。いや。むしろ活字はぷつぷつとはねるようだ。
取材対象のみが主役。くだけた調子でそいつを貫いた。心の貴族である。
軽妙な文体にだまされてはならない。
歴史と文学/エンタメは、事実と虚構の二項対立ではない。
もちろん、歴史記述は再構築であって、フィクション化は免れない。
そこを視線を複線化し、叙述を相対化する。
どれだけ火にくべられても、過去をひとつひとつ拾い上げていく。
拾い上げた自分ではなく拾い上げた過去が主役。
仮にその証言に誤りがあっても、それは「遅すぎた訪問者」であるこちらの責任だ。
こういうことを誰よりも先に言うのが、ライターの仕事である。
だから「ライターと書いて雑文書き。ジャンルを限定したらその瞬間、死にますからね」と笑い飛ばす著者にとって、この本のジャンルが何なのか、枠組みによって受賞を逃したことは、おそらくそんなに重大なことではない。いや重大なのだが、しかし。
しかし、ある選考委員の「死者の尊厳はどこまで守られるべき?」との疑問には、全力で否定するのではないか。
第4章までが本書の白眉だとすると、後半は何か。
死者への責任だと思う。
著者は、責任を果たしたかったのだと思う。
「遅すぎた訪問者」として。
第5章。これまで抑制を利かせていた著者の文体は大きく転調する。
岸一郎が早稲田中学のエースとして快投するところから、早大進学後に大学野球のスターになり、満州遠征して大活躍、30歳を前に引退して上海から帰国するところまで。
その語り口は講談師か活動弁士か。
おそらく選考委員が論難したこの部分こそ、著者一世一代の大立ち回り。
如何ともしがたい事実だが、岸一郎より藤村富美男より、阪神タイガースの方が面白い。
それがどうした。
みんな、あんまりじゃないか。
この人のことを、しっかり残さなければならない。
誰が?
俺がだ。
先達である近藤唯之が、「ちゃんと現場に行ってマジメに働いてた人間じゃないっていう負い目」をかなぐり捨て、生き残ったものとして語り部を引き受けたように。
岸一郎という人がいた。
それをみんな忘れないでほしい。
それが、遅れてきた我々の責任だ。
こういうことを誰もいなくなった後に言うのが、ライターの仕事である。
やはり、後半こそがこの本の白眉。
だから、この本には白眉が2つある。
必読と言わざるを得ないのが現状である。
「ごめん!」
読み終わって少し経ったころ、著者から唐突にメッセージが届いた。
「近藤唯之、岸一郎のこと書いてたわ。しかも権藤さんのこと書くのに。」
ほらー。
「しかし、権藤、近藤唯之、岸一郎と導かれるような思いです。」
・・・そうですね。
▲「プロ野球 新・監督列伝」
私には、日本プロ野球史の先生が2人いる。
1人は豊田泰光で、もう1人は近藤唯之である。
岸一郎のことは、近藤唯之の本で知っていた。
ミスタータイガース、藤村富美男のことは、2人の本で知っていた。
それから、昔、日本テレビの「知ってるつもり?!」での特集でやっていた。
のを、この本を読みながら思い出した。
あれ、いつだったかなー。
調べると、その放送日は1998年12月6日。
それはベイスターズが今のところ最後に日本一になってから、1か月とすこし経った頃。
やはり導かれていると言わざるを得ない。
我々(というか我)は何処へ行く。
やっぱ人は忘れるよ。忘れる。
それはもう、忘れてることに愕然とする。
いままだ俺は「自分はもう忘れてるのかも」って思うだけましだと思うけど、
思ってたことすらも忘れてたりすると、
もう、わかんなくなってくるよね。
―伊集院光
『永田泰大/ゲームの話をしよう第2集』
いつの日か、また忘れてしまったとき。
また思い出すために、この本を読もう。