※こちらは「文春野球学校」(https://yakyu.bunshun.jp)の受講生が書いた原稿のなかから外部配信作品として選ばれたものです。


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これは、密室で二人きりになったことで、ひとりのファンの人生を変えてしまった、ある選手の物語である。

突然だが、スポーツ新聞や記事を読んでいて、「この選手、名字がぜんぜん読めない…」と思うことはないだろうか。

たとえば楽天の銀次は、誰も読めないという理由で、名字である「赤見内(あかみない)」を削って登録名を「銀次」のみに変更。ちょっと前の巨人には、今の『鬼滅の刃』ブームで現役選手だったら大いに盛り上がっただろう「鬼屋敷(きやしき)」というキャッチャーもいた。「筒香」も、その実力でメキメキと台頭してくる前は、さっぱり読めなかったものである。

カープもまた、昔から難読な名字の選手を沢山輩出してきた。音、高、畝、梵、鞘師、下水流(現楽天)、苫米地…ちょっとやそっとでは読めない名字のオンパレードだ。そして、そんな難読名字の歴史の末席に座るのが、昨シーズンに飛躍したピッチャー、塹江敦哉である。

「塹江」と書いて「ほりえ」と読む。「塹」が「蟹」に空目されがち、ということで、入団直後にはチームメイトから「カニ」と呼ばれたりもしていた。本人曰く、「名字が読めないせいか、今までニックネームをつけてもらったことがあまりなかった。だからカニと呼んでもらえるのは嬉しい」とのこと。(RCCラジオ「それ聴け!Veryカープ!」2017年12月18日放送より)

そんな“カニ”こと塹江だが、昨シーズンは、6年目にして念願の初白星をあげる。最終的には52試合に登板し、3勝4敗19ホールド、防御率4.17と、セットアッパーとしてカープに欠かすことのできない戦力となった。

実は、塹江の一軍デビューは、それはもう大変なものだった。

2016年9月11日、東京ドームの巨人戦。前日に25年ぶりのリーグ制覇を決めたカープは、7回裏2点ビハインドの場面で、当時2年目の塹江をマウンドに送った。一人目のバッターは、当時まだ巨人にいた長野久義。1球目をいきなりスタンドに運ばれる。その後、長打&連続四球などで、あれよあれよと6失点。結果、塹江は1アウトしか取れずにマウンドを降りたのだ。その日の防御率はなんと162.00…!

このインパクトがありすぎるデビュー戦の数字は、一部のカープファンにとっては逆にワクワクするものだった。往年の名左腕・大野豊の一軍デビュー戦に酷似していたのだ。

大野の一軍デビューは1977年9月4日の阪神戦。8回に登板した大野。最初の打者に安打され、そのまま8人のバッター相手に、1本塁打を含む被安打5、2四球を与えて5失点。1アウトしか取れずに降板したのである。防御率は135.00。

塹江は幸いにも、9月11日以降、2016年のシーズン中に何度か登板機会があったため、11.37まで防御率を下げてシーズンを終えることができた。しかし、1977年の大野にはもう登板機会が与えられることはなく、防御率3桁のままシーズンを終えたのだった。もちろん、防御率135.00という数字は、今も公式記録として残っている。

大野豊 1/3回 5失点 防御率135.00。
塹江敦哉 1/3回 6失点 防御率 162.00。

こんなわけでカープファンは、塹江が第二の大野豊として伝説クラスの左腕になってくれるのでは…!?と、ついつい期待せずにはいられないのだ。

実は他にも、二人には大きな共通点がある。それは、ものすごく神対応だということ。

あれは2017年の年末。大野豊と達川光男のレジェンドバッテリーによるトークショーが広島市内で行われた。トークショー終わりでサイン会も開催。私も漏れなくサインを頂いたのだが、私がもらった大野のサインだけが他の人のものとは違った。サインをしてもらおうと私が持参したのは、大野の引退試合の模様を伝えるスポーツ紙のカラーコピー。最後のユニフォーム姿を伝える記事に、大野は敢えて現役時代のサインを書いてくれたのだ。引退から19年を経て、私は改めて大野に惚れ直してしまった。

こんなレジェンドクラスの神対応を、カープの現役選手からも受けたことがある。他でもない、塹江敦哉だ。


2020年の沖縄キャンプでのこと。選手と同じホテルに宿泊していた私は、いざキャンプ見学に行かん、とエレベーターを待っていた。エレベーターのドアが開くと、なんとそこにはカープのユニフォーム姿の先客が。そう、塹江である。

これはヤバい。ほんの数十秒とは言え、密室でファンと二人きりになってしまうなんて、塹江に余計なストレスを与えてしまうのではないか……。そんな不安がよぎり、乗り込むのをためらった私。だが、塹江は予想を超えてきた。動揺し、躊躇している私に向かって、塹江はいきなり「おはようございます」と爽やかに笑顔で挨拶をし、ボタンを押して私が乗り込むのを待っていてくれたのだ。

えっ……!いちファンに向かって、選手の方から先に挨拶してくれるの!? ますます動揺しながら「お、お、おはようございます…」と乗り込んだ私。こんな狭い空間で、一体どこを見たらよいのだろう。呼吸をしたくない。完全に気配を消したい。変な汗をかいて挙動不審になってしまった私に対し、ビシッとした塹江。そして二人を乗せたエレベーターはついに1階へ。すると、再び塹江はボタンを押し、「どうぞ」と笑顔で先に降りるよう促してくれたのだ。

当時23歳になったばかりの青年の姿に、私はすっかり感動してしまった。まだホテルのロビーにいるうちに、秒速で公式サイトから塹江のユニフォームを購入。その日のうちに、検索で見つけた塹江の後援会にも入会してしまったのだった。

このように、大野豊と塹江敦哉は、その誠実で紳士的な振る舞いによって、私の心を一瞬で釣り上げてしまったのである。

「自殺するなよ」と周囲に心配される程、散々なデビュー戦だった大野は、その後伝説のストッパーとして、沢山のカープファンの中に忘れ得ぬ印象を刻んだ。きっと塹江も大野のような左腕に成長し、誰もがスラスラ読める名字として認識される日が来ることを、私は固く信じている。

なお、塹江の後援会が、彼の初勝利を祝って作ったTシャツがこちら。

読めない「塹江」を率先してネタにしていくスタイル、嫌いじゃない。