※長谷川ゼミの講義編のレポート、今回はmizuho さんがお届けします!(事務局)
野球コラムを書くにあたっての「考え方」とは。
「出し惜しみするつもりはないので、これまでの試行錯誤で見つけたものをとことんお話しします!」
そんな大盤振る舞い宣言でスタートした、長谷川晶一先生のコラム講座。
昨年11・12月に行われた長谷川ゼミは「コラムの書き方」がメインでしたが、今回のお話の中心は、「考え方」の部分。長谷川先生は、事前にお題として挙げられた5本の文春野球コラムを例に、テーマ探しや着眼点について、ポイントを解説してくださいました。5つのコラムに共通していたのは、なんと「ネタがなかった」こと!
あるときは得意分野の「見立て」、あるときは球場弁当の食レポ。「ネタがない中でどうやって平均点を超えるか」と「独自性があるか」をクリアするために、長谷川先生がどんな工夫をしているのか、その思考を明かしてくださいました。
生徒の私たちは、基本的に書きたい衝動に駆られて書きたいものを自由に書くノリだと思いますが、プロはそうはいかないんですね。文春野球のシーズンをひとりで戦い抜き、HIT数を稼ぐコラムを投入し続けるために、長谷川先生が培ってきたワザを垣間見ました。
その中で話題に上がったのが、プロとアマチュアの違い—それは「読み手を想像できるかどうか」、というお話。
文春野球学校のページには連日、ブログがばんばん投稿されていて、その熱量ってほんとすごいと思うのですが、長谷川先生いわく「試合後の興奮に引きずられて力強い文章を書けるのはいいけれど、他者を意識できていないものも多い」。
贔屓球団の目線で書いた文章は、対戦相手のファンを不快にさせているかもしれない。自分の視点はもちろん大事だけれど、言葉の選び方には注意しないとな、と気づかされました。
フェンスの向こう側でも「取材」はできる。
講義の後半は、コラムにオリジナリティを出すために有効な「取材」についてのお話に。
取材=インタビューをしなきゃいけない、と思いがちですが、取材パスがなくても、「取材=材料を取りにいく」ことは誰でもできる!ということでした。
たとえば、お父さんに昔の話を聞いてみるとか。普段行かない球場に行ってみるとか。
私の知り合いにかれこれ10年、ヤクルトを追いかけて全試合現地観戦しているワケありのおじさんがいますが、そういう人をあえて掘ってみたら面白いのかもしれません。……あんまり関わりたくないからやめとくけど。
長谷川先生が念押ししていたのは、目的をもって親しい人に話を聞いたり、とことん調べたり、「バカバカしくてどうなの?」ということをやってみたりするのも、立派な取材だということ。敷居が下がったような、いやむしろ上がったような……。ちなみに、「神宮の定点観測者」のキャッチフレーズで知られる長谷川先生、球場で双眼鏡片手に根気強く観察し続けた結果、ある投手のクセを見抜いたとか!
ググっても出てこない「実感」を込めよ!
生徒のみなさんがそれぞれに「何書こっかな……」と頭の片隅で考え始めたであろう講義終盤、長谷川先生から大事なアドバイスがありました。
「オリジナリティを出すなら、体験を入れ込むこと。自分がどう感じたか、その実感があることで訴求力が上がる」
今の時代、ネットで検索すればいろんな情報が細かく出てきますし、個人ブログには自分の知らない視点があふれています。けれど、情報のソースをどこまで信じるかは難しいところだし、まして自分の言葉に置き換えるのはやっちゃいけないこと。
余談ですが、5年ほど前、仕事で駅弁図鑑のような本を制作しました。そのとき、若手スタッフが個人ブログを情報源にしていたことが発覚しました。いろんな人のブログを切り貼りしているから、文章はめちゃくちゃ。幕の内弁当なのに、卵焼きの出汁の話しかしてないとか……まぁひどかった。結局、急遽代打で書き直すことになり、2晩で20個くらい、頭の中で食べたのですが、果たして読んだ人に「食べてみたい」と思わせることはできたのか(問うまでもないですが)。
相手に伝えるためには、共感してもらうには、情報のシズル感も重要なんだと思います。だからこそ、身の丈にあった視点で、自分の“フィールド”に相手を引き込むことが大事で、そのための材料をそろえる=「取材」が必要。拾えるものは拾っておく。なんでも取材だ!!!
コラムの締め切りは9月21日。3週間は、長いようで短い。
私は何を書こうか、ボワっとしているので……とりあえず、球場に行ってきます。