前略 スワローズファンの夫さま

私とあなたが結婚して早や10年。ここまで本当にいろいろありましたが、ようやく穏やかな、まるで映画「東京物語」のような毎日を過ごせるようになりましたね。

ドラマティックな盛り上がりのない、なんという平和な日々。10年という節目に「本当にいろいろあった」ことを振り返ってみたくなり、こうしてあなたにお手紙を書いています。そう、子は鎹と言いますが、子のない私たちには燕が鎹と言ったところ。いや、本当にそうなんでしょうか?

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あなたが野球ファン、中でも東京ヤクルトスワローズのファンだと知ったのは結婚前、2011年頃だったと思います。最初は「学生の時、たまに友達と神宮に行っていた」くらいの、俺ってライトユーザー発言でしたよね。

身近に野球ファンなどいなかった私が、どう誘われて神宮に足を運んだのか、今となっては思い出すこともできません。
当時の私にとって球場とはビアガーデン代わりに行くところ。ああ私と同じで、夏だからビールでも飲みに行くか、風船でも飛ばしに行くか程度ね。と信じたのは大間違いだったと、早晩気づきました。


「で……いつから好きだったの?」と、怪訝な顔で問い正す私に
「1978年から」と答えましたよね。こともなげに。

スワローズが初のリーグ優勝と日本一に輝いた年。それまでは、巨人ユニのパジャマに縫い付けてもらった「1」のアップリケが自慢だったんでしょう?    「スワローズ優勝記事がプリントされた下敷き」をヤクルトお姉さんにもらったからといって、あっさり燕軍に寝返えるなんて。
「みんなと同じように巨人を応援するのがいやだったから」とは、あなたらしい理由だな、と思わなくもありません。

PXL_20240603_231518119~2.jpg 2.38 MB悪夢はここから……

こうして、ちょっと神宮球場にでも行ってみない?    から始まった野球観戦。シーズン前に2名分のファンクラブ特典が自宅に届くようになり、「今月はまだ2回しか神宮に行っていない!」と言うようになるまでに時間はかかりませんでしたね。

2015年、14年ぶり7度目のリーグ優勝を見てファンクラブ入会を決断。入会したものの運の悪いことに、2017年には悪夢の96敗という歴史的大敗を目撃。あなたは菩薩のように、顔色ひとつ変えず試合を見ていましたっけ。

打線には、2度目のトリプルスリーを達成した山田哲人のほか、バレンティンや坂口智隆、雄平の顔もあって、連敗続きの1年ながら盛り上がった試合も多かったように思います。7月26日の対中日戦では、10点差を大松尚逸が代打サヨナラ本塁打で覆し、現地で「おおまつー!!!」と絶叫したことは今も良い思い出です。

沈滞したムードの中、派手な打撃が見られた日には傘を振り、大松や大引の逆転ホームランに涙し、近藤一樹のクセつよ投球フォームにニヤニヤしていたあの頃。負けても私たちには、つば九郎店でのショッピングというお楽しみが待っていて、「今日も一日楽しかったなあ」と、野球観戦の楽しさを噛み締めていたのが、昨日のことのように思い出されます。
そう、2018年までは。


2019年以降、私はあなたという人がわからなくなってしまいました。




この年の開幕は3者連続本塁打が飛び出すなど、大いに期待が持てる内容だったものの、6月以降主力の故障が相次いだことで最下位に転落、結局5位と9ゲーム差をつけられたままシーズンを終えました。村上宗隆の最優秀新人賞獲得など明るい話題もありつつ、真中監督に続いて小川監督、宮本慎也HCのたった2年の退陣に、野球初心者の私ですら「小川よ、お前もか……」と、シーザーのような苦々しい気持ちを抱いたことは否めません。

この頃には神宮詣が月4回を超え、野球中継とプロ野球ニュースとプロスピに埋め尽くされていた私たちの暮らし。スワローズの故障者数と敗戦数が日を追うごとに増えて、日常に野球が入り込めば入り込むほど、あなたが変わってしまったと強く感じざるを得ませんでした。良く言えば穏やかな、悪く言えば覇気のないところがあなたの魅力だったのに、更年期の訪れと相まって、あからさまに体温高めな発言が増えていきましたよね。

負け始めたら早めのイニングでもテレビを消してしまう。敗戦でもしようものなら、楽しみにしているプロ野球ニュースさえ見せてもらえないなんて。そもそも野球中継で画面すら直視しないのはなぜですか?    手元でこっそり、5ちゃんニキたちと逐一盛り上がっているのを、私知っているんですよ。

負けそうなときは「もう負ける」と言い、勝っている試合でも「もう負ける」と言い、本当に負けたら「やっぱり負けた」と言う毎日。神宮でも負け試合では「拷問だ」と言い放ち、最後まで見たい私と、帰る帰らないでケンカしましたよね。敗戦帰りの居酒屋で、今日の采配にくだをまき酔い潰れたあなたを、何度引きずるように連れ帰ったことか。
不甲斐ない試合だと吐き捨てながら、怒りのあまりあなたが殴って、賃貸の壁に開けた穴からは、今日も戒めの風が吹き込みます。

96敗を耐え抜いたスワローズファンは、メンタル強めなのではないのですか。あの日、あなたは菩薩の表情でグラウンドを見つめていたじゃないですか。ええ、でも最近気がついたんです。あなたが繰り返し「負ける」と言い出したのは2021年、スワローズが8度目のリーグ優勝、さらに20年ぶり6度目の日本一にさえ手が届きそうになってからだったと。

IMG01203_HDR.jpg 2.41 MB2021年7月10日、神宮球場。優勝年で強いはずなのに、この日も5-0で広島に負けました。ギャフン。

あなたの心変わりの理由が知りたい。その一心で私は、1978年の夫少年の気持ちに寄り添うように、思いを巡らせてみました。

優勝胴上げシーンという「絶対的な強さ」に惹かれてファンになったのに、残念ながら当のスワローズは、野村監督による1992年のリーグ優勝まで、Aクラスにすら縁のないチームでした。若松の、八重樫の、池山の派手な活躍に心躍らせ、今年こそ強いはずと何度も己に言い聞かせてきた’80年代。「あの頃もイライラしてた」とあなたがつぶやいたこと、メンタルはまさに血糖値スパイクのようだったのだろうと今ならわかります。

野村監督以降も優勝と最下位を極端に往復し、現実の厳しさを突き付けられてきたのでしょう。いつしかスワローズファンであることすら口にしなくなり、2011年まで封印していたあなた。「ちょっと神宮球場にでも行ってみない?」という誘いは、「もうそろそろ野球を楽しむことができるかも」という、あなた自身に向けた小さな希望だったのでしょうか。

希望は時に裏切られ、もう二度と期待しないと心に誓った直後に2021年の快進撃。今度こそスワローズは本当に強くなったのかもしれない。一勝し、二勝目も重ねて期待が膨らむからこそ負けが怖くなるし、つまらない負け方が許せなくなっていったのですか?    強いスワローズを求めながら、強いスワローズはやっぱり幻で「いつかまた自分を裏切るかも」と、あなたのメンタルに合わなかったのでしょうか。

「1978年からスワローズファンだった」の告白に、正直なところ私は戸惑ったんです。「情熱」という言葉と180度対極の場所で、まるで存在を消すかのように生きていたあなた。その人が40年以上もの長きにわたって、実は試合結果をチェックし続け、「応援し」「勝敗に一喜一憂」してきたことが、本当に信じられなかったからです。あなたのような人をも惹きつけて離さない、強いけれど時に勝ちきれないスワローズの魅力って、なんなのですか?   

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2023年スワローズは、前年までの勢いはどこへやら、負傷者多数の5位でシーズンを終えました。それと同時に、荒ぶるあなたの心は憑き物が落ちたかのように収まりましたね。そういえばあなたが、弱っている人には優しい人だったと思い出しました。

「東京物語」ならぬ「東京ヤクルトスワローズ物語」の結末やいかに。いつかは「東京物語」の主人公を演じた笠智衆(りゅうちしゅう)のような、穏やかな老人になりたいと言っていたあなた。2024年春、空気の抜けた風船のように、グラウンドに目をやりながら「今年もだめだねえ」とポツリ。その眼の端に安堵のきらめきがあるのを、私は見逃しませんでした。


こうしてひらた家に、つかの間の平和が訪れました。でも私、知ってるんです。ウチの笠智衆の中には、愛があるからこそぼやき続ける「ノムさん」が隠れていることを。そしてディスりながら、今日もあなたがスワローズの勝利を心待ちにしていることを。

IMG00826_HDR.jpg 1.21 MB夫氏近影。あいかわらずカメラに視線を向けるのが嫌いすぎる人です。