※こちらは「文春野球学校」(https://yakyu.bunshun.jp)の受講生が書いた原稿のなかから外部配信作品として選ばれたものです。
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「いつか日本代表で抑えを任せられたり、重要な場面で投げられるピッチャーになりたいです」

今から4年前、ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスに指名された高橋礼はその直後の記者会見でこう語った。写真撮影用の色紙に書いた文字は「新人王」だった。

あれから2年後、高橋は12勝を記録し新人王を受賞。侍ジャパンに選出されたプレミア12では、先発に中継ぎに活躍を見せた。高い志を掲げた当時の高橋は有言実行で自らの夢を叶えたのだった。

▲会見終了後、地元メディアのインタビューに応じる高橋


神奈川県内にある専修大学のキャンパスの特設会場で高橋の指名会見は行われた。実は、この会見に僕も参加している。ホークスから指名された瞬間、笑顔の高橋に向けてカメラのシャッターを切っていた。「専大スポーツ編集部」。専修大学の体育会に所属する選手を取材して記事を書く部活に、僕は大学生活の大半を費やした。


専修大学・高橋の初取材

「神宮球場で取材がしたい」という理由で編集部に入部。いきなり野球取材に連れて行ってもらった。当時の高橋は大学2年生で、すでにチームの中心的存在になりつつあった。試合後、神宮球場の通路で初めて高橋を取材した時は言葉少なく、「寡黙な人なのかな」という印象を持った。間近で見る高橋は、グラウンドでの姿よりずっと大きく見えた。
僕が初めて取材をした2015年春、専修大は26年ぶりの東都リーグ優勝を果たす。優勝が決まった瞬間にマウンドに立っていたのは高橋だった。

野球部担当の僕は取材活動に没頭した。どうやったら高橋のすごさが伝わる記事にできるか、アンダースローの躍動感を写真で残すにはどうしたらいいか、来る日も来る日も研究した。「この人は将来すごい投手になる」。根拠はなかったけど、取材を重ねる度にそんな予感がしていた。彼の活躍を残したいと思いニュースを書き続けた。

▲神宮球場で登板する高橋


だが大学3年になると、高橋はそれまでの活躍がウソのように勝てなくなった。秋のリーグ戦では防御率ワーストの5.83。翌年春のリーグ戦でも調子は戻らず、チームはなんと0勝10敗1引分の最下位。高橋は2シーズン続けて白星を挙げられなかった。制球を乱して走者を溜め、痛打を浴びるという悪循環に陥っていた。

勝てない、勝てない。今日も勝てない。まさか1度も勝利インタビューができずに終わるとは思わなかった。ベンチの空気が重たくなっていくのが記者席からでも分かり、この頃は神宮球場に行くのもつらかった。

立正大との入れ替え戦でも高橋は打たれ、専修大は2部に降格した。


ロングインタビューで明かした「素直な気持ち」

2部降格が決まった夏、編集部が自主制作している雑誌で「高橋礼特集」を組むことになった。神奈川県の伊勢原市にある野球部の寮に行き、1時間以上にも及ぶロングインタビューを実施した。この取材は大学4年間の中で一番強く記憶に残っている。彼に対する印象がガラっと変わったからだ。

それまでやや塩対応気味だった高橋が、自らのことをゆっくり話してくれたのだ。


調子を落としていたときに「ちゃんと盗塁を刺してくれ」と後輩キャッチャーに注文を付けてしまったこと。ひとりじゃ野球はできなくて、他の野手が守ってくれるから抑えられると気付かされたこと。神宮球場の通路では聞かれなかった言葉だった。話す表情が試合後のときより少し柔らかくなっているように感じた。


取材後に迎えた最後のリーグ戦。高橋は5勝を挙げ、見事復活を果たした。そしてホークスから2位指名を受け、プロ野球選手となった。




高橋から1年遅れで大学を卒業した僕は、記者をやめて普通のサラリーマンになっていた。社会人としての暮らしに慣れてきた2年目の秋、高橋がプレミア12の代表に選ばれた。
そして迎えた韓国代表との決勝戦。僕は東京ドームのレフトスタンドにいた。身につけたユニフォームはもちろん「28 TAKAHASHI」。学生記者からすっかりただのファンに変わっていた。

「ピッチャー、山口に代わりまして、高橋礼」

高橋の出番がやってきた。ずっと取材してきたあの高橋が、満員の東京ドームで投球練習をしている。東都リーグのときはせいぜい100から200人くらいだったのに。あの頃とは視線の数も注目度も違う。神宮でずっと見てきた選手が世界一を決める試合で投げる。「専修大にこんなすごいピッチャーがいることを伝えたい」。記者時代の思いが現実になる瞬間が近づいていた。


……なんだか、ずいぶんと遠い存在になってしまった。


嬉しいはずなのに、なぜかモヤモヤしている自分がいる。
それどころか、ちょっと悔しい気持ちもある。

そうか、嫉妬だ。自分の夢を叶えた高橋に嫉妬しているんだ。

高橋は昔からの夢を叶えプロ入りした。そしてこの日、指名会見で語ったように「日本代表で重要な場面を任される投手」になった。一方の僕は卒業を機に学生記者を引退。同僚の中には新聞記者になった者もいるが、自分は普通のサラリーマンだ。もう彼に取材をする機会はないし、関わることもないだろう。

夢を叶えた高橋と、続けなかった僕。そこにある差はドームのマウンドと外野席にある距離より、ずっと遠く感じた。

高橋の好投で勢いを取り戻した侍ジャパンは逆転勝利。高橋は勝利投手になり、大会に名を刻んだ。世界一記念のペナントを持ちながら球場を一周する高橋の姿を、僕は複雑な表情で眺めている。なんとも身勝手な理由で嫉妬している自分に嫌気がさしたし、素直に喜べないことに自己嫌悪した。


自分の「嫉妬」と向き合って

ときおり、取材していた当時に書いた記事を読み返すことがある。どれも大切な思い出だが、どうしても高橋のことを書いた記事がついつい目に入る。あの頃の原稿を見ると、無我夢中で野球部を追いかけていた記憶が蘇ってくる。


あの頃は野球部を、高橋を、ただただ応援したい、その気持ちだけだった。表現や構成が稚拙で直したくなるところもあるが、その純粋な気持ちは文字からも伝わってくる。


ではその想いが今は失われてしまったのだろうか? いやそんなことはない。今でも高橋のことは好きだし、活躍してもっと有名になってほしいと思っている。そうじゃなかったらユニフォームを買って試合を見に行かない。学生記者とサラリーマンの僕、どちらも応援したい気持ちに変わりはなかったのだ。

学生記者の時に追い続けた高橋が大活躍して嬉しい。けれどもすごく遠い存在になってちょっと悔しい。どっちも僕の大事な感情だ。あのとき感じた喜びと嫉妬を胸に、今日も僕は仕事に向かう。いつの日か高橋のように、大事な場面で重要な仕事を任せてもらえるような、そんなサラリーマンを目指して。