楠本泰史は今、瀬戸際に立たされている。大卒で外野手としてプロ入りして7年目、2019年オープン戦で首位打者になるも、一軍スタメンとしては定着せず現在に至っている。
代打起用で成績を残してはいるが、本人の真の希望はスタメンであることは疑いようがないだろう。しかし代打で結果を出しスタメンに起用されても、守備や走塁でミスを犯し、もしくは打撃不振が続き、また代打に戻ってしまう。近年はそのサイクルを繰り返している。今季も、4月23日の対阪神戦で守備時にタイムリーエラーとなる悪送球をしてしまった。
そして今季はますます厳しい立場に追いやられている。同じ右投左打の外野手であるスーパールーキー、度会隆輝の入団。筒香嘉智の帰還。関根大気や蝦名達夫といったライバル外野手の活躍。2024年シーズンは、楠本にとって正念場であることは間違いない。
楠本を待ち受ける未来を、どう思い描けばいいのか。私は、ルーキーイヤーからの楠本ファン、耳子さんの言葉にヒントを求めたいと思った。楠本が置かれている「今」、そして彼を待ち受ける未来から目を逸らさない。そして楠本を信じ、その先に物語が続くことを祈る。Xで綴られるそんな彼女の言葉たちは、自分の力が及ばない範囲にある他人=野球選手を「信じる」、そしてこの先の未来を「祈る」とは何か、読む者に問いかけてくる。
私は耳子さんに、「楠本が小学校時代に所属していたチームが練習しているグラウンドを見に行きませんか」と誘った。楠本の原点を知ることで、そして原点に触れた耳子さんの言葉に耳を傾けることで、未来の手がかりを掴みたかった。
3月初旬とは言え、まだ冷たい風が吹きすさぶ日。楠本、楠本と当時からの同級生であった松井裕樹(サンディエゴ・パドレス)、また2016年から2018年までベイスターズに所属していた山本武白志が小学校時代にプレーしていた「元石川サンダーボルト」。このチームが練習するグラウンドは、横浜市青葉区のあざみ野駅近くにある。
朝10時頃に耳子さんと二人で訪れると、元気な掛け声が青空のもとでこだましていた。
チーム事務局の小林さんにグラウンドを案内していただいた。楠本が母校の小学校に凱旋訪問した際に質問した少年を呼び寄せてくれたり、楠本や松井、また彼らのご家族に関するお話を聞かせてくれたりした。私が耳子さんと直接対面したのもこの日が初めてだったが、彼女はとても愛嬌のある、笑顔が印象的な女性だ。耳子さんはずっとにこにこと笑顔を浮かべながら、話に頷いていた。
そして小林さんは、トロフィーや大会の記念品が所狭しと並べられたプレハブ小屋の中に案内してくれた。チームOBやかつて野球教室で訪れたプロ野球選手たちのエピソードに耳を傾けていると、楠本が在籍していた当時のチームユニフォームをあげるよと申し出てくれた。耳子さんは「いいんですか!?」と目を輝かせた。
小林さんがユニフォームを広げると、そこには“SANDER”と書かれていた。チーム名にある「サンダー」の綴りは“THUNDER”のはずだ。約40年前に綴りを間違えたまま発注されたが、再発注もせずそのまま試合で使用されていたという。耳子さんは「本当に愛おしいですね」と微笑んだ。
耳子さんがベイスターズファンになったのは2016年。彼女が楠本を見初めたのは、2018年の宜野湾キャンプ。やたら目につくと思っていた選手が、翌日の練習試合で守備練習の成果を発揮していたことが一つ目のきっかけ。しかし本格的なスタートはここではなかった。
同じ年、オープン戦を横浜スタジアムで観戦した耳子さんは、この試合で楠本がヒットを打ったら選手名タオルを買うと決めた。楠本はスタメンではなかった。代打で出るかも分からない、代打で出たとしてもヒットを打つか分からない。しかし楠本は出場したのみならず、タイムリーツーベースを放った。だが、本格的に楠本を追うようになったきっかけはここでもないという。
オープン戦で打率5割超えを記録していた楠本だったが、レギュラーシーズンが始まるとノーヒットが続いた。そして4月14日の対中日戦。一塁ランナーだった楠本は、嶺井博希(現・福岡ソフトバンクホークス)が放ったフライの間に、一塁に戻れずタッチアウトとなった。このボーンヘッドで楠本は交代となり、翌日二軍降格が決まった。
その試合はベイスターズが勝ち、7連勝目を記録した。ハマスタで観戦していた耳子さんはショックのあまり、ヒーローインタビューも聞かずに球場を後にする。6年間ハマスタに通っているが、そのような形で去ったのは一回だけだという。しかしこの試合が、耳子さんが楠本を追う決定打になった。
「私それまで(楠本の)ユニ持ってなくて、そのボーンヘッド見てユニ買おうってなったんですよ。ただオープン戦では打ちまくってたから球場では売り切れてて。帰ってネットで注文したのめっちゃ覚えてます」
選手のユニフォームは、活躍すると売れる。しかし耳子さんは、失敗を目の当たりにしてユニを買った。それはなぜなのだろうか。
「強くて常に賞賛されてる、いわゆるスタープレイヤーみたいな人をあんまり応援する性質じゃないっていうか。だからほんと、最初っからずっと活躍しっぱなしで、ていうタイプだったらそんなにぐっと来てないんだろうなって気はしてます。そういうとこが愛おしいと思ってるけど、本人の耳に入ってほしくないのであんまり発言したことはないんですけど」
また、お笑いファンでもある耳子さんはこう語る。
「お笑い芸人で言うとマヂカルラブリーから始まってランジャタイとか好きで、今は怪奇!YesどんぐりRPGとか好きなんですけど、もちろんそれ以外にも好きな芸人さんとかめっちゃいるんですよ。でもライブにいっぱい通うほど推す人って、自分にとって明確に違うのが、『この人が先に連れてきてくれる未来って、絶対面白い』というのを期待してるところなんですね。だから今面白いっていうよりも、『この人が変えた社会とか、この人が変える未来みたいなのを私はすごい楽しみだから見たい』っていう人を、自分にとって『推し』にしてしまう。
そういう意味で言うと、楠本くんの場合も、もちろん今格好良い、今好きだみたいなのもあるんですけど、この人が活躍する未来はきっと面白いだろうなって思ってる。この人が活躍したらきっとこういうチームになるだろうなみたいなのが、イメージできると多分そこまでぐっとこなくて、まったくイメージができないから見てみたい。度会くんが、これからめっちゃ活躍して、こうなってこんなヒーローインタビューするんだろうなとかめっちゃイメージつくじゃないですか。そういうイメージがつかないので、見たいんでしょうね」
ーー未知の世界がわくわくするとかそういう感じなんですか?
「そうそう。わからないものにわくわくしちゃうんですよ」
なぜ、耳子さんは「わからないもの」に惹かれるのだろうか。
「予定や計画を立てることが苦手、という自分の性質に起因しているのかもしれません。目標を決めて、そこに向けてコツコツやっていくプロセスは飽きちゃって、どうも向いてないんですよね。自分の根源にある本質的欲求が『見えないもの・見たことのないものを見る』なので、目標=見えているものを追う、という時点でもう満足してしまう。あと、予想外のトラブルに興奮してしまうタイプなので、それも関係しているかもしれません。筋書きにないものが起きたときにこそ『これこそ世界』と胸が高鳴る。だから筋書きを裏切るような、その枠を外れるようなものに惹かれます」
彼女は「うる星やつら」、「Dr.スランプ アラレちゃん」、「キテレツ大百科」といった漫画作品も大好きだという。今の世の中にある理を無視して、ローテクな格好良くはない、何なら今とそんなに変わらないマテリアルの使い方を変えることで、全く違う世界が広がる。そんな世界観に惹かれていたという。
チーム名の綴りを間違っていることに気づかずにユニフォームを発注した、プロ野球選手を3名輩出した少年野球チーム。そして「もう無理だろう」と観る者に思わせるような失敗を繰り返しながらチャンスを掴み、一軍にしがみついてきた楠本。そこにも、格好良くはないが筋書きを外れた面白さがあるのかもしれない。
楠本を「信じる」とは何かと問うた私に、耳子さんはインタビュー後にこんなメッセージを寄せてくれた。
「キャンプに通っていた頃、彼の一日に打っているボールの数を知って、彼が自分を諦めない限りはわたしもその努力を信じたいと思いました。そして、どんな未来が来てもそれを楽しめる自分の心を信じているような気もしました。」
未来は「わからない」から不安になるし、怯えてしまうこともある。しかし「わからない」からこそ待ち受ける未来を、楽しむことだってできるのではないだろうか。楠本という選手は、華々しく活躍し続ける選手ではない。活躍しては壁にぶつかり、そして壁を越えて筋書きから離れた物語を紡ぎ続ける。その先にある未来は、きっと誰も想像し得ないものになる。それは、楠本にしか作れない未来だ。
2024/05/19 12:22