田淵幸一が阪神タイガースから新生西武ライオンズへトレードされたのは1978年だった。王選手とホームラン王を争うような中心選手を出しちゃうんだ?    小学6年生の僕は思った。テレビの中の田淵は唇を尖らせ、不貞腐れていた。
「お家芸」という日本語を覚えたのはこのときだと思う。

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「タイガースは何かがおかしい。(中略)…戦っている対象が他球団とは違うのだ。」と著者が感じたのは『4522敗の記憶』を書いたときだというから、2013年くらいだ。
ライターとしての食指が動くが、その闇は深く、濃密すぎた。しばらくは書くことをためらっていたが、あるとき岸一郎という人物に辿り着き、興味を持った。歯車が回り始める。

かつて大学や社会人野球で投手として活躍したからといって、プロ未経験の60歳の素人が、どうしてタイガースの監督に就任できたのか?    発端はオーナーへ送った自薦の手紙?    そしてわずか33試合で「痔瘻」を理由に、岸は解任されている。1955年の話だ。

岸についての資料はあまりにも乏しすぎた。
著者は岸の故郷、福井県敦賀市を訪ねるが、なかなか手掛かりをつかめない。

球団監督を3度務めた吉田義男に会った。岸の就任時、吉田は2年目の駆け出しで、いっとき岸父娘と同じ屋根の下に暮らしていた。
広岡達朗にとって岸は早大の大先輩だ。岸に関する記憶はもとより、巨人と阪神の違いを滔々と説いた。
当時の日常生活やチーム内の様子を、著者は軽妙な筆致で描写する。球団の権力争いの重苦しさをユーモラスな比喩表現でからかいもする。

外堀が少しずつ埋まっていくが、核心は恐ろしく遠いと著者は感じた。

当時のタイガースの歴史を振り返るとき、「ミスタータイガース」藤村富美男を避けて通るわけにはいかない。「藤村排斥事件」は1956年だ。著者は藤村の描写にも一章を割いている。豪放磊落、ショウマンシップたっぷりと伝えられる「猛虎」の、別の一面を読み知ることができる。奥行きのある人間像が浮かび上がる。
経歴も存在感も対照的で、互いに「目の上のこぶ」だった藤村と岸が、結局はどちらも選手から拒否されるかたちでチームを去ったのは因果だ。

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僕が著者とお会いしたのは2月下旬だった。著者は野球好きが集まる「学校」の「校長」で、僕は生徒である。その夜は都内で講義があった。講義の後、僕は読みかけの本書にサインをお願いした。

「どこまで読まれましたか?」マジックを走らせながら著者は言った。
「敗けが込んでベンチで誰からも相手にされなくなり、いよいよ岸さんの進退が危うくなったあたりです」僕は答えた。第3章の途中だ。
「5章。第5章に、どんでん返しがありますから」その人はにっこりと笑って、閉じた本を僕に返した。

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何度目かの敦賀を再訪のときに、風向きが変わる。地元の或る野球人と出会い、親族にも面会できた。岸一郎の足跡を辿れるようになった。
このあたりから、著者の筆がぐっと熱を帯びてくる。第5章だ。熾火を囲む人々に太古の物語を口伝する語り部のように。あるいは張り扇で釈台を激しく打ちながら語る講談師のように。岸の生い立ちや若き日の活躍が紐解かれていく。最初は著者を拒絶していた或る女性が、閉した引き戸からやがて手を放し、話をするうちに笑顔さえ見せてくれるシーンには心を動かされる。

岸の生涯を知ることは良質の歴史ミステリーの謎を解くことでもあった。後半はページを繰る手を止めることができない。
そして、どんでん返し。

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近藤唯之は書いている;

「オフシーズンになるとスポーツ紙の一面に、
『阪神のお家芸の内紛』
という文字がおどる。
この阪神のお家芸となった内紛第一号こそが藤村である。」

いえ、それはちょっと、違うかもしれません    ー
本書は著者が敬愛する唯一無二の文筆家へのアンサーにもなっている。

敢えて自ら「エンタメ」と謳っているが、貴重な球史であり、渾身のノンフィクションだと思う。

(文中敬称略)